火葬は勘弁してやってください [ロシア語]
音楽つながりから、映画「おくりびと」の話になり、ロシア語の先生映画を大絶賛でした。
最初は哲学的なものが入っているような堅い映画を想像していたそうですが、見てみたらコメディみたいなところもあり、それでとても共感できる部分もあり、とても良かったと。
ただ、日本の火葬のお葬式には参列するのは勘弁して欲しいとも言ってました。
死者を火葬するまでは判るけど、遺体を火で焼いて、それが骨になったのが戻ってくるのは怖くてしょうがない、と。
ロシア人からそのことを言うのは、とても失礼なのかもしれないけど、まるでゾンビを連想してしまって怖い、ということでした。
で、先生の知り合いに日本人と結婚したロシア人女性がいて、日本人の義理のお母さんが亡くなったときに、自分はロシア正教だし、お葬式などには出席するけど、火葬場だけは勘弁して欲しいと旦那さんに訴え、旦那さんも、しょうがないね、と火葬場だけは立ち会わなかったそうです。で、奥さんの方はいろいろとその他のお葬式の事を準備したり、お墓に行くときにもちゃんとついて行ったりしたそうですが、そのあと酒に酔った旦那さんに、火葬場に行かなかったことに対してものすごく怒られてショックだったそうです。
私は、旦那さんの気持ちもわかるけど、奥さんの怖いという気持ちも判ります。
旦那さんからすれば自分の母親の葬儀に、愛する妻もずっと自分と一緒にいて欲しかったのでしょう。民族や宗教は違っても、妻は自分の側にずっといてくれると信じていたんだと思います。でも、この出来事が二人にとっての深い溝のようなものに感じてしまってやるせなかったのでしょう。母親を亡くしてショックだった時に、愛する妻と感じた深い溝、それが自分でも想像していたよりも大きなものだったんだと思います。
一方の奥さんにしては、先生によればとても感受性の強い人なので、骨だけになってしまった遺体を見るとものすごいショックを受けてトラウマになってしまったかもしれないから、出席できなかったのは判る、とのことです。これも判ります。どうしたって、苦手なものはありますもん。ロシアで宗教観も、そういう知識もなかったんですから、やはり怖いものは怖いです。
(よく本人が怖がっているのに「怖くないから大丈夫、要は気の持ちようだ」なんていう人がいたりしますが、それはとても無責任な事だと思います)
しかも、奥さんからすれば、そういう自分を理解してくれたと思った旦那さんが、あとで酒に酔っていたとはいえひどくあたられたらそりゃショックでしょう。奥さんの方は出席しない分、いろいろとがんばったそうですから。
愛情だけじゃ、乗り越えられない風習ってやっぱりあると思います。
外国人の和み話はネットのあちこちでありますが、やはり、こういう複雑なケースも実在すると思います。
(日本人は、日本の風習に適応できる外国人にはすごく優しいのかもしれませんが、一方で、適応できない人を見つけると距離を置きそうな気がします)
二人が夫婦じゃなかったら別にどうという問題ではなかったと思います。
でも、夫婦ってなると難しいんですね。
愛しているが故に、こういう溝があるということがどちらも寂しくてしょうがないと思います。
前向きに考えるならば、このご夫婦は、旦那さんのお母さんの死で、もう一度二人の関係をきちんと見据えて、よりよい夫婦として暮らしていけるチャンスをもらったのかもしれません。
夫婦で生きていくって、難しいけど、素晴らしいことだとやっぱり思いたいですから、この話のご夫婦にはこれからもっともっと仲良くなってもらいたいです。
最初は哲学的なものが入っているような堅い映画を想像していたそうですが、見てみたらコメディみたいなところもあり、それでとても共感できる部分もあり、とても良かったと。
ただ、日本の火葬のお葬式には参列するのは勘弁して欲しいとも言ってました。
死者を火葬するまでは判るけど、遺体を火で焼いて、それが骨になったのが戻ってくるのは怖くてしょうがない、と。
ロシア人からそのことを言うのは、とても失礼なのかもしれないけど、まるでゾンビを連想してしまって怖い、ということでした。
で、先生の知り合いに日本人と結婚したロシア人女性がいて、日本人の義理のお母さんが亡くなったときに、自分はロシア正教だし、お葬式などには出席するけど、火葬場だけは勘弁して欲しいと旦那さんに訴え、旦那さんも、しょうがないね、と火葬場だけは立ち会わなかったそうです。で、奥さんの方はいろいろとその他のお葬式の事を準備したり、お墓に行くときにもちゃんとついて行ったりしたそうですが、そのあと酒に酔った旦那さんに、火葬場に行かなかったことに対してものすごく怒られてショックだったそうです。
私は、旦那さんの気持ちもわかるけど、奥さんの怖いという気持ちも判ります。
旦那さんからすれば自分の母親の葬儀に、愛する妻もずっと自分と一緒にいて欲しかったのでしょう。民族や宗教は違っても、妻は自分の側にずっといてくれると信じていたんだと思います。でも、この出来事が二人にとっての深い溝のようなものに感じてしまってやるせなかったのでしょう。母親を亡くしてショックだった時に、愛する妻と感じた深い溝、それが自分でも想像していたよりも大きなものだったんだと思います。
一方の奥さんにしては、先生によればとても感受性の強い人なので、骨だけになってしまった遺体を見るとものすごいショックを受けてトラウマになってしまったかもしれないから、出席できなかったのは判る、とのことです。これも判ります。どうしたって、苦手なものはありますもん。ロシアで宗教観も、そういう知識もなかったんですから、やはり怖いものは怖いです。
(よく本人が怖がっているのに「怖くないから大丈夫、要は気の持ちようだ」なんていう人がいたりしますが、それはとても無責任な事だと思います)
しかも、奥さんからすれば、そういう自分を理解してくれたと思った旦那さんが、あとで酒に酔っていたとはいえひどくあたられたらそりゃショックでしょう。奥さんの方は出席しない分、いろいろとがんばったそうですから。
愛情だけじゃ、乗り越えられない風習ってやっぱりあると思います。
外国人の和み話はネットのあちこちでありますが、やはり、こういう複雑なケースも実在すると思います。
(日本人は、日本の風習に適応できる外国人にはすごく優しいのかもしれませんが、一方で、適応できない人を見つけると距離を置きそうな気がします)
二人が夫婦じゃなかったら別にどうという問題ではなかったと思います。
でも、夫婦ってなると難しいんですね。
愛しているが故に、こういう溝があるということがどちらも寂しくてしょうがないと思います。
前向きに考えるならば、このご夫婦は、旦那さんのお母さんの死で、もう一度二人の関係をきちんと見据えて、よりよい夫婦として暮らしていけるチャンスをもらったのかもしれません。
夫婦で生きていくって、難しいけど、素晴らしいことだとやっぱり思いたいですから、この話のご夫婦にはこれからもっともっと仲良くなってもらいたいです。
2009-09-05 03:41
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