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「私はフクロウ」と「コンピューター言語」の関係 [ロシア語]

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Я сова.(ヤー サヴァ)※この場合の「со」は中間発音なので、サとソの中間の音になります。筆記体の場合、「о」の下から次の文字につながっています。英語ならば、「о」の上から次の文字につながりますが、ロシア語では下からつながります。前に筆記体の「в」は英語の「f」のようだけれど、実際は次の文字へのつながる部分が違うと書きましたが、これでも問題ないようです[あせあせ(飛び散る汗)]

 意味は――私はフクロウ――乱暴に日本語に意訳してしまうと「私は夜型タイプなの」です。
 朝にあくびをしている友達の間の会話なんかで
「昨日は夜遅くまで起きていたの?」
 みたいに聞かれたときに
「Да, Я сова.」
 なんて使います。

 たった二つの単語ですけど、すごく豊かな表現だと思いませんか?
 なんかこう、これだけの表現でもすごくなにかのストーリー的な想像力が広がりませんか?
 ある程度はきっちりとした家庭で育って、一応それなりに感性が豊かで、ちょっと天然系が入っている女の子がする会話であって欲しいような気もします。
 これまた乱暴にいえば、「日常ほのぼの系女の子ばっかりアニメ」にでも出てきて欲しいかもしれません。

 ただ日本のどこかの街でフラフラとうろついている女の子にはちょっと似合いませんね。
「なに、あんた昨日遅かったのぉ?」
「だってー、あたしー、フクロウだしー」
「なにそれー?」
 うーん、まったく無いとは言い切れませんね……

 話がだいぶずれてしまいましたけど……
 この表現、なんかすごくツボにはまりました。

 そうそう、ロシア語って、なんか私、なぜかプログラム記述言語のイメージになってしまっているんです。
 英語って、単語そのもの変化は(ロシア語に比べれば)少なくて、並ぶ順序が重要です。なので、ある程度例文を暗記すると意外と使い回しで済むかもしれませんけど、ロシア語はそうはいきません。
 例文を暗記したところで、その中の単語一つが変わってしまえば、それに応じて他の単語も一斉に変化していきます。これは複雑です。思いっきり挫折しかけました。
 でもですよ!
 あるとき突然……これって単語の変化を理解して、文章を作ることが出来れば、自分が文章の中でなにに注目しているのか、非常に細かいニュアンスまで表現できるんじゃないか? と思ったんです。

 そして次に頭に浮かんだイメージが……
「あ、これは『日本語にはない表現をするための記述言語』だ」
 なんです。

 私、DELPHIとかPerlとかFLASHとか(他には、BASICとか、アセンブラ(16進数の機械語)とか、QUARTZ COMPOSERとか……)いくつかのコンピューターの言語はそれなりに使えるんですけど、こういうのを習得するとき、まず自分が表現したいことから覚えていっているんです。ある程度、どのような処理に向いているか、さらにその言語はどのような概念の世界で動いているのかなんて事をつかんでから、自分の表現したい(処理したい)ものを中心に学んでいくんです。するとあら不思議、いつのまにか、結構なことはできるようになってます。(ただ、C言語だけはなぜかダメなんです)
 で、もう一つ、私、面白いプログラムを読み解くことも嫌いじゃありません。
 綺麗なコーディングでなくて良いんです。乱暴なコーディングでも、そこに作った人の独創性とかが見えると、なにかこう「儲けた!」みたいな感じになるんです。

 16進数の機械語をハンドアセンブラでプログラム作った時に、それまでにまったく意味を理解できなかったデータの羅列が、一気に意味を持って頭に流れ込んできたあの感覚!
 他人が作った16進数の羅列のプログラムが理解できた瞬間、コーディングされたプログラムの向こうに見えた自分とは違う「思考」と自分が出会ったあの感覚! そこに広がる創造性に触れた瞬間の感動!
 思わず 「そうか! こんな処理があるのか!」とうなってしまう感覚!

 ロシア語には、それと同じものを感じたんです。

 ということで、ロシア語の学習って自分の興味のある部分からはじめて良いんじゃない、と思ったわけです。
 だって、ロシア語のテキスト通りに進めたら私絶対挫折しますもん。
 間違いなく挫折しますもん。(というか、お金払って習ってなかったらもうとっくにやめてましたよ、絶対)
 なので、ここ最近の授業は、先生が文法について説明する――私が、面白いと思ったところを伝える――先生がその面白いと思った事の表現のバリエーションを増やす――すると、違った文法が必要になるのでそれを補う――という感じで進んでいます。
 おかげでロシア語の授業楽しいです。
 難しくて、暗記することも増えるんですけど、なぜか「面白い」と感じてます。
 この感覚、私、英語では感じたことがなかったんです。

 でも、Arduinoで例えたら、多分今はLEDをチカチカと点滅させている段階なんだと思います。
 ロシア語どこまでいけるかなぁ……(^^;;;

※そういえば、綺麗なコーディングなのに、「あ、こいつ絶対にこのプログラムを嫌々作ったな!」とか「うわ! こいつを作ったヤツは絶対に嫌なヤツだ!」ってのを感じる時があります。あれは不思議です。
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花南

こんにちは、


ほかの外国語を学んだことがある人はもう一つや二つならう言語を
ふやしても、意外とスムーズに学ぶことができるってよく聞くのですが

プログラミング言語を何種類も身に着けているということは、
外国語を何か国語も身に着けているというのとは違うことなんでしょうか。

言語の種類は何でも、学ぶだけなにか人間としての質が深まるような気がするのは気のせいでしょうか。
by 花南 (2013-04-05 02:26) 

dayan

>花南さん、コメントありがとうございます!
個人的な意見なのですが、コンピュータ言語って「言語」ではあるのですが、どちらかというと「命令体系」のようなものに感じています。
というのは、その言語だけを使って、何かを創造しようとすると、途端に足を引っ張られることが大きくなるのです。
一方、人間が使っている「言語」は覚えることこそ、つらく地道な作業や鍛錬があったりしますが、全く新しい価値観だったり、考え方だったりを得られると私は受け取っています。

確かに、複数のプログラム言語を習得していると、似た体系のコンピュータ言語を習得することも楽なのですが…外国語となるとまた違います(^^;;
by dayan (2013-04-08 03:54) 

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